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リース ア ソース

アイムストレート。 もふもふ雑記ブログ

謝るな 謝罪は弱さの表れだ

考え方 考え方-美しく生きる

tv.foxjapan.com

 

海外ドラマ NCISの主人公 

リロイ・ジェスロ・ギブス が自らと部下に課すルールのひとつです。

 

ギブスは海外ドラマのキャラクターですが

私の中ではカリスマ的な存在です。

自らの信念を曲げない、

人や部下に厳しくもその中身はとても思いやりに満ちた優しい人柄、

そんなボスなのです、最高。

上司にするならギブス、自分が目指す上司像がギブス。

 

 

とても人には受け入れられないかもしれないですが、

私は謝罪も謝罪を求めるのも好きではないです。

 

だってそんなのその後の行動や態度を読み取れば分かるではないですか。

ああ、過ちを正そうとしている、

自分の行動の結果に現実に真摯に向き合っている、

悪気は無かったのだな、

次同じ失敗を犯すまいとしている、

とか。

 

すぐ謝罪しろだのいう人は

低い自尊心を傷つけられてそれを補おうと必死なだけでは

ないでしょうか。

相手の個性、能力、行動、判断、決断 を尊重すれば

それが故意か故意でないかはすぐ分かると思うのです。

 

故意でなければ 

そのうまくいかなかった決断も尊重するべきではないでしょうか。

その決断には責任がつきまといます、

ですが故意でなければそれは本人が一番分かっているはず、

責める必要ありますかね。

個を尊重できれば

それはうまくいかなかったね、成功しないパターンをひとつ学んだね、

そこからなにか学んで欲しい と思えるのではないでしょうか。

頭ごなしに謝罪を求めるのは自らの愚かさを表してしまうし

相手のためにもならないのではないでしょうか。

 

故意であれば

それが間違っているよと真摯に対応するべきです。

故意にしたのであれば本人自身どこかしら間違っていると

分かっているはずです。

そこを頭ごなしに攻め立てれば反発心を生んで

解決の糸口は見かけの謝罪だけで消えてしまうのではないでしょうか。

 

 

すぐ謝罪をする人は

事なかれ主義の典型ではないでしょうか。

自ら考え抜いてした決断をあっという間に自ら打ち砕くのは正しいのですか?

その謝罪は自分と向き合ってした決断ですか?

日本はなにかあればすぐ謝罪という習慣が根強く残りますね。

すみませんでした、申し訳ありませんでした。

もはや形骸化した習慣、この言葉に中身を込めて発するひとは

全体の何パーセントなのでしょうか。

重要な問題なら潔く責任とればそれでよくないですか?

 

分かります、客商売ではこれが必要なのは。

会社を守るためにはこの形だけの謝罪は必須でしょう、やりざるおえません。

この日本社会では、現代でも。

お客様は神様ですを捕らえ間違えた愚かな人達。

客>商売人 ではありません、常に対等です。

民法上も客と商売する側は常に対等です。

けど対等の立場をなかなか堂々と示すわけにもいかず

日本の客商売は苦労が多いですよね。・・・話が逸れました。

 

けど、自らの責任において取った決断についてすぐ謝罪してしまうのは

正しいのでしょうか。

考え抜いて ああ、自分が間違っていたとなったら

その謝罪は正しいでしょう。

ですが、それ以外は・・・?もはや信念もなにもなく自らの立場を

守るためだけの形だけの謝罪。

それって自分を殺していませんかね?

本当にその謝罪は必要ですか?

過去の淘汰するべき習慣の奴隷になっていませんか?

 

 

 

謝罪は最低限にするべき。

必要以上の謝罪は個性を殺す、決断力を殺す、負の感情を助長する。

基本故意の行動以外、謝罪を必要としない察することのできる

優しい世の中になればもっと生きやすい世界になるじゃないかと

思っているのですが、いかかでしょうか?

 

 

 

しぇばの!

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