リースぶろぐ

I love you so much.

大した中身もなく寄付を偽善と呼ぶ人の問題

寄付行為を見るたびに偽善と呼ぶ人が居ます。

そもそも、寄付という行動に善だとか偽善だとか悪だとかくだらない判断基準を下す事自体がバカらしい。

寄付そのものはただの行動と結果だ。

寄付する人はやりたいからやってるだけであって、ただの行為。

結果として、寄付はなんらかの形で人の役にたつ行動をする、した、それだけである。

とても単純な構図だ。

 そもそも寄付をする人が善だとか偽善だとかそこまで深く考えて行動しているだろうか。

ただ、状況をみてあぁ寄付をしよう、なんて考えてお金を落とすだけだ。

 

全てがとは言わないし、ちゃんとした理由があって寄付をしない人もそれを偽善と呼ぶ人もいるだろう。

だが、大抵中身がなく寄付を偽善と呼ぶ人は寄付をしない人だ。

自分が、寄付をしない、できない人が寄付をする人を偽善と呼ぶ。

しない・できない人が自分のそれを正当化するためにそう言っているだけが

大半ではないだろうか。

寄付をしない・できない自分を正しいと思いたいだけ。

人は自然と自分が正しいと思いたいという傾向がある。

本能的な反応で知性のない思考で、

人間である以上、常に気をつけなくてはならない厄介な感情だ。

 

寄付しない・できない→自分が正しいと思いたい→後付でしない理由を無理矢理こじつける→寄付する人は偽善者

 

自分の思考や感情をコントロールできない人は、この流れに抗えなくて本気でこの流れで自分の頭で思考をして自分が正しいと思いこむ。

上記の流れの中の自分が正しいと思いたいの部分を自己で認識できず、後付のこじつけの理由を真に正しい理由だと信じて疑わない。

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私は寄付をしない・できない。本来その一言で済むはずが、そんな思考回路のせいで余計な批判や問題を生む。

 

TwitterのTL上で流れてきたツイートで目にした人がいるかもしれないが、

100万を寄付したyoutuberを素晴らしい行為と言いながら批判し年上からみたら偽善者。貧乏人は自分の生活で精一杯という趣旨の炎上ツイートがあった。

 

そもそも100万寄付したことと、ツイート主とそのyoutuberの年齢差は関係ない。

所得の差も関係ない。

自分の生活が精一杯なにも個人の事情。

どこから一体偽善者の単語がでてきたのだろうか。

素晴らしいと言いながら偽善者という矛盾。

 

思考回路を読めば、

あいつは100万寄付している私はできないが始まりで、

そこから自己の正当化がはじまったのではないだろうか。

なんの関連性もない年の差を持ち出し、若くして稼ぎやがって私はあいつより年上で苦労しているのにという妬み。

その妬みという感情を自己認識すればそんなツイートもしなかったはずだが、

自分は自分の生活で精一杯で寄付できないということで自分を養護でき正しいと主張できると思ったのではないか。

そうすれば相手を偽善と呼んでもいいと。

 

全くもって整合性がとれていないが、

真っ先に自分を正しいと思いたくて感情論に走ればこんなものだろう。

自分ができないことに対する言い訳でしかなく、

本人はそれにすら気づかず自分が正しいと思いこんでいるから、

自己矛盾にも中身の無さにも気づかない。

自分が正しいと思って疑わないから人の意見も聞きはしない。

大抵をクソリプ扱いだ。

そんな私は今回ブログでエアリプであるが。

 

そんなわけで、

はてなの御大が言う運動瞑想野菜はとても的を得ていると疑わず負えない。

自己認識と心と身体の安定はとても大事だ。

常にそうしていれば、そんな中身のない余計な発言もツイートもすることはないだろう。

私のこの記事ですらもしかしたらとても的はずれなことを書いているかも知れない。

 

人の思考とはなんて複雑なのだろう。

感情のコントロール、理論的思考、無知の知。

人の頭の中は常に問題だらけだ。

 

 

そんな感じ。